「老いらくの来んと知りせば、門(カド)さしてなしと答えて逢ざらましを」(万葉集)|従心会倶楽部

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今月の言葉 No30

「老いらくの来んと知りせば、門(カド)さしてなしと答えて逢ざらましを」(万葉集)
先日5人の80歳の方を迎え(傘寿の会)が開催されました。80歳になっても矍鑠(かくしゃく)としているさまを見て感慨深く思いました。
この万葉の歌は「老いの神様が来るのを予め知っていたら、そんなものこちらにはいないと玄関を閉めて追い返したのに、いつの間にかやってきた」という意味です。
六十才になると自分がそんなこと意識しなくとも周りからは「還暦ですね」と老いを知らせてくる。企業では六十才定年を延長する向きもあるが、遅かれ早かれもうそのうち(退職)ですよと宣告されたようなものです。でも、六十ではほとんどの人はまだまだ老いを追い返す気力体力を持っているのではないでしょうか。ところが、古稀七十才となるとどうでしょう。ある本にこんなことが述べられておりました。
「老い込むのはまだ早いと追い返せ」
まだまだやることいっぱいあると本人の方から老いの神様を追い返えします。
それが七十七喜寿ともなるとどうなるでしょう。
「せくな老楽はこれからだ」
老いを楽しむのはこれからだというのです。
さてさて、それでは今回お招きした各位は喜寿を越し八十の傘寿です。どういう心境でしょう。私はまだそこまで齢を重ねておらずわかりませんが、老いの神様の方がまたやってきたらこんなこと言うのじゃあないかと想像します。
「なに八十?!そんなに生きたのか、もうわしゃあお前たちを追いかけるのに疲れた、勝手に長生きせい!」
と神様の方から退散していくのではないでしょうか。結構な話です。あやかりたいのはこのことです。

(滝野次郎・従心会倶楽部会員)

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